
スズキスキーと私、といっても、彼と僕との出会いをいまから語ろう、というわけではありません。“私”とは、スズキスキーの音楽の根幹を成している“私”のことです。
それを、いわゆるパーソナリティとか、個性などと言ってしまうとちょっと違う感じがするのです。スズキスキーの音楽は、誤解を恐れずに言うならば、“私小説”ならぬ“私音楽”だと思います。
音楽は他人様に聴いていただいてナンボ、というのは限りなく真実に近いものでありますが、スズキスキーの場合はまず“私”ありき。“私”を徹底的に情け容赦なく晒しているのがスズキスキーの音楽です。
“私”を晒す、というと、何か痛々しい感覚を伴う表現のように思われるかもしれませんが、そういうものではないのは、スズキスキーの愉快な音楽が良く物語っています。ただ、彼の音楽は少しだけストレートに聴く人の心を射るのです。
フォーキーでアコースティックな弾き語り音楽には“私”を晒した音楽というイメージがあります。しかし、こんなエレクトロニック・ミュージックにも“私”を晒すものがあるのだと、アルバム『OZMA』を前にして力説したい気持ちに駆られています。どうか、この音楽が一人でも多くの“私”へ届きますように。そう心から願ってやみません。
早速、ozma聴きました。
suzukiski様の音楽を聴いているときって、いつも不思議な感じがしていてコレって一体何なんだろう・・・と思っていたのですが、原様の文章でナルホドーと納得致しました。こういうことだったんですね。
拙文が正しいのかどうかは分かりませんが、なるほどと思っていただけたのは大変嬉しい限りです。自分がちょっとヒント親父になったような気分ですが(?)、まだまだいろいろな発見があるアルバムだと思うので、ぜひまた感想なり何なり寄せてくださいませ。