2007年06月27日

アンリ移籍記念

 去年のワールドカップ前に、「愛国心」というお題でStudio Voiceに書いたコラムです。


 ワールドカップが始まろうとしている。それなりに楽しみではあるのだが、どうも4年前に比べると自分の中でのテンションは低い。ジーコのチームであることも3割くらいは影響しているのだが、残りの大きな理由をこれから述べよう。
 チャンピオンズ・リーグの決勝を頂点としたヨーロッパのビッグ・クラブ中心の現在のサッカー界のヒエラルキーは、年々その体制強化に勤しんでいる。ユニフォームの胸のスポンサーも重要だが、テレビ放映権も重要だ。衛星放送を見ることができる世界各地域がクラブ・チームのマーケットとなる。各クラブによるシーズン前の極東ツアーはこの1、2年で急増しすぎて、さすがに飽きられてきた感もあるが、それでも日本は美味しいマーケットであり続けている。スポーツ・マーケティングなんてことを言い出したのは、何でも世界中に売りつけようとするアメリカ人だが、ハリウッド的なエンターテインメントの作法はいまやオリンピックやワールドカップの運営はもとより、ビッグ・クラブの運営にまで浸透している。
 そして、こうしたマーケットでのせめぎ合いは、否が応でも小さなクラブをも巻き込んでいく。街の愛すべきクラブではあっても、そこでプレイする選手は地元の出身者だろうが、南米から方々を渡り歩いてきた者だろうが、等しく世界のマーケットの基準で値踏みされ、相応の居場所を獲得することになる。選手のサラリーを払うのはクラブだが、その財源にはスポンサーや観客から直接得られたお金以上に、将来有望な選手をより大きなクラブに高く売ることで得られた利鞘が充てられる。育てて売るというのはマーケットの中でクラブが生き残っていくための当然の手段となっているが、そのことは、選手がプレイする場所への帰属意識をどんどんとインスタントなものに変えていってしまった。
 プレイする選手もそれを見るサポーターもお互いの幸福な関係は一時のものであるという、刹那的な感情が支配し、その代わりに選手が如何に移り変わろうがクラブへの愛は不変なものであるという思いが強くなっていく。だが、一時であったとしてもクラブとサポーターに対して素晴らしい関係を築いて見せた選手が、翌シーズンにあまりにもあっさりと新たな契約を交わして他のクラブへ移籍してしまう光景を見せつけられると、人は尋常ではないクラブへの愛を強くしていくしかアイデンティの拠り所を見出せなくなる。
 先のチャンピオンズ・リーグ決勝戦でバルセロナ相手に最後の意地を見せたアーセナルのアンリは、移籍の噂が絶えず(当のバルセロナが名乗りを上げていた)、結局アーセナルに残留することになったのだが、その決定をかのクライフは「間違いを犯した」と断言した。アンリは世界一のプレーヤーになれるチャンスを自ら逃したと。だがアンリはそのさらに先を見ているだろう。あの試合でバルセロナで最も輝いていたのは誰が見てもラーションだったが、ラーションはすでにバルセロナを去ることが決まっていた。これまた刹那的な感情を湧かせるのだが、あの時ピッチに立っていた選手はみな、その感情を理解してプレイしていただろう。それはバラバラの個が集まった闘いゆえの醍醐味を見せていた。
 マーケットの要請に時に応え、時に抗いながらプレイを続ける選手にとって、ワールドカップという場は果たして国の威信をかけて闘う場なのだろうかという疑問がよぎる。もちろん生まれ育った国の代表というのはそれなりのモチベーションになるだろうが、その前に個のモチベーションが勝るのは明らかだからだ。フランス代表のユニフォームを着ているアンリとアーセナルのユニフォームを着ているアンリ、より魅力的に映るのはどちらだろう? 移民用の団地が立ち並ぶパリのバンリュー出身のアンリがフランス本国への帰属意識が薄いと言いたいわけではない。ただ、サッカー移民としてロンドンにやってきたアンリがアーセナルで最も重要な選手となった事実は、フランス代表のFWである事実よりも重いのだ。選手が個として生き抜いてきた事実が何よりも勝り尊重される世界で、ナショナリズムは一時の夢に過ぎない。


posted by 原 雅明 at 13:29| Comment(0) | TrackBack(0) | sports | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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